2026年現在、里谷多英さんはフジテレビの社員として、イベント事業に携わっています。
2026年3月18日に公開されたスポーツ総合メディア「Sportiva」の本人インタビューでは、プロフィール欄にフジテレビ・イベント事業局イベント販売企画部の副部長と記載されています。現役時代のように競技会場で注目を集める立場ではなく、企業や関係者と協力してイベントを成功させる仕事が現在の中心です。
担当するのはスポーツだけではない
意外に感じる人もいる可能性がありますが、里谷さんが担当してきたのはスキーやスポーツ関連のイベントだけではありません。
2024年の女性誌「STORY」のインタビューでは、舞台、歌舞伎、美術展、クラシック音楽など、文化・芸術分野のイベントにも携わっていることが紹介されました。
具体的な業務には、次のようなものがあります。
- イベントの企画・制作に関する業務
- 協賛企業との打ち合わせや営業活動
- イベント開催に向けたプレゼンテーション
- チケット販売や販売促進
- 来場者の反応を踏まえたイベント運営
2021年のSportivaの取材では、協賛企業の獲得やイベントチケットの販売について本人が説明しています。金メダリストとしての知名度が営業先で話を聞いてもらうきっかけになる一方、最終的には仕事の成果で評価されるという現実も語っていました。
50歳を迎えた2026年、会社員として働き続ける
里谷さんは1976年6月12日生まれ。2026年6月に50歳を迎えました。
2026年のインタビューでは、2026年ミラノ・コルティナ冬季オリンピックにも言及。男子モーグルで活躍した堀島行真選手について、モーグルに必要な要素を高いレベルでこなす選手として評価しています。
かつて自分が世界の頂点を目指した競技を、現在は一人の社会人、そして経験豊富な元選手として見つめているのです。
競技から完全に離れてしまったというより、競技者として培った経験を別の仕事に生かしている姿が、現在の里谷さんを理解するポイントです。
【五輪5大会連続出場】長野の金メダルとソルトレークシティーの銅メダルを振り返る

里谷多英さんの競技人生を語るうえで欠かせないのが、5大会連続で出場した冬季オリンピックです。
初出場は1994年のリレハンメル大会。長野大会で金メダルを獲得した後も、ソルトレークシティー、トリノ、バンクーバーと世界の舞台に立ち続けました。
5大会の成績と主な転換点
| 大会・時期 | 女子モーグルの成績 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 1994年リレハンメル | 11位 | 初めてのオリンピック |
| 1998年長野 | 日本女子初の冬季五輪金メダル | |
| 2002年ソルトレークシティー | 2大会連続のメダル獲得 | |
| 2006年トリノ | 15位 | 個人資格でワールドカップに参戦 |
| 2010年バンクーバー | 19位 | 5大会連続出場を達成 |
1998年長野五輪:21歳で日本女子初の金メダル
1998年2月11日、長野オリンピックの女子モーグルで里谷さんは歴史的な快挙を達成しました。
当時21歳。日本女子選手として初めて冬季オリンピックの金メダルを獲得したのです。
この大会で特に印象的だったのは、持ち味であるスピードと安定したターン技術でした。
モーグルは、コブが連続する急斜面を滑り降りながら、途中の2か所でジャンプを行う競技です。ターン、エア、タイムの3要素が評価されます。
里谷さんはエアの難易度だけに頼らず、持ち前の高速ターンで得点を積み重ねました。
笹川スポーツ財団の競技史記事によると、決勝では予選11位から巻き返し、ツイスタースプレッドやコザックといったジャンプ技を披露。スピードを落とさない滑りで頂点に立ちました。
また、この大会には前年に亡くなった父・昌昭さんの写真を胸に忍ばせて出場していました。
幼い頃からスキーを教え、オリンピック選手になる夢を支えてきた父親。その存在は、金メダル獲得の背景にある大切な要素でした。
2002年ソルトレークシティー五輪:2大会連続のメダル
長野で金メダルを獲得した里谷さんには、次の大会での活躍にも期待が集まりました。
しかし、ソルトレークシティー大会までの道のりは簡単ではありませんでした。
後輩選手の成長や自身の故障などもあり、オリンピック前のワールドカップでは思うような成績を残せない時期もありました。
それでも本番では持ち味を発揮。
エアの難易度を抑え、得意のターンとスピードを重視する戦略を選択し、銅メダルを獲得しました。
長野の金に続く2大会連続のメダルです。日本の個人競技における冬季オリンピック2大会連続メダルという点でも歴史的な記録となりました。
5大会連続出場が示す競技者としての強さ
里谷さんの記録で見落とされがちなのが、メダル獲得後も競技を続けたことです。
2006年トリノ大会では15位、2010年バンクーバー大会では19位という結果でした。
特にバンクーバー大会では、直前の練習で腰を痛めるアクシデントもありました。
それでも出場を果たし、1994年から続く5大会連続出場を達成しています。
金メダルと銅メダルだけでなく、長期間にわたって世界のトップレベルで戦い続けたことも、里谷さんの大きな功績です。
【2013年に引退】里谷多英がモーグルを辞めた本当の理由とは?
里谷さんがモーグルの現役引退を発表したのは、2013年1月18日です。
当時36歳。長野五輪の金メダリストとして知られた選手が、25年間にわたる競技生活に区切りをつけました。
直接の理由はワールドカップ昇格基準を満たせなかったこと
引退の直接的なきっかけとなったのは、2012年12月18日から21日にかけて北米で開催されたFIS大会でした。
里谷さんはソチオリンピックを目指して競技を続けていましたが、ワールドカップへの昇格を目指したこの大会で、必要な基準を満たすことができませんでした。
その試合後、引退を決意したと本人が所属先のフジテレビを通じて発表しています。
当時の状況を整理すると、次のようになります。
- 2010年:バンクーバー五輪で5大会連続出場を達成
- 2012年12月:北米のFIS大会に出場
- 2012年12月:ワールドカップ昇格基準を満たせず
- 2013年1月18日:現役引退を発表
- 2013年2月23日:福島県猪苗代で引退セレモニー
単純に年齢を理由に引退したわけではありません。次のオリンピックを目指して挑戦を続けた結果、競技環境や出場への道筋を踏まえて決断したという経緯があります。
本人が発表した引退コメント
引退発表時、里谷さんは25年間の競技生活を次のように振り返りました。
「12歳で初めて大会に出場してから25年間、諦めることなく最後まで挑戦し続けることができ、とても幸せな競技人生でした」
2013年2月23日には、ワールドカップ猪苗代大会で引退セレモニーが実施されました。
日刊スポーツの当時の報道によると、福島県は里谷さんにとって思い出の地でもあり、最後の滑走に向けて前日練習にも参加していました。
長野で金メダルを獲得した選手が、最後まで滑ることにこだわった姿は、彼女の競技人生を象徴するエピソードです。
【フジテレビ入社理由】なぜ金メダリストはテレビ局を選んだのか?
里谷さんは1999年にフジテレビへ入社しました。
オリンピックの金メダリストであれば、競技環境の整った企業のスキー部に所属する選択肢もありました。それでもテレビ局への就職を選んだ背景には、本人の意外な考え方がありました。
当初は競技を引退して普通に働くつもりだった
2026年3月のSportivaのインタビューで、里谷さんは長野五輪後の進路について詳しく語っています。
当時、長野五輪が自分にとって最大の目標だったため、大会終了後は競技生活を終えて普通に働こうと考えていました。
実際、大学4年生の1年間はスキーを休んでいます。
しかし、休養期間を経て気持ちに変化が生まれました。
競技から離れた生活を送るなかで、何もしないことに物足りなさを感じ、もう少しスキーを続けたいと思うようになったのです。
そこで会社に競技続行の希望を伝えると、フジテレビ側からも続けてよいという返事がありました。
フジテレビを選んだ理由にはドラマへの興味もあった
2021年のSportivaのインタビューでは、フジテレビを選んだ理由について、もう一つの興味深い話を明かしています。
里谷さんは幼い頃からフジテレビのドラマが好きで、入社後はドラマ制作の部署を希望していました。
新人研修では実際にドラマの撮影現場を経験しています。
しかし、そこで感じたのは制作現場の緊張感と、チームで仕事をする責任の大きさでした。
個人競技のスキーでは、自分が失敗すれば基本的には自分自身が悔しい思いをします。一方、ドラマ制作では一人のミスが多くのスタッフに影響する可能性があります。
その違いに驚きながらも、制作の仕事に興味を持っていたと振り返っています。
最終的には競技を続けることになり、最初の配属先は人事部となりました。
1999年から2014年まで人事部に所属
2026年のインタビューによると、里谷さんは1999年の入社から2014年まで、約16年間にわたって人事部に所属していました。
現役時代は競技を優先する生活だったため、出社して行う業務は採用の手伝いや書類整理などが中心でした。
入社式に参加し、社長から新入社員への辞令を手渡す役割を担当したこともあったそうです。
金メダリストでありながら、会社では一社員として働いていたという二つの顔が、里谷さんのキャリアの特徴です。
【セカンドキャリア】36歳からの再出発とイベント販売企画の仕事
競技を引退した里谷さんが選んだのは、スキーの指導者や解説者への転身ではありませんでした。
それまで所属していたフジテレビに残り、会社員として新しい仕事に挑戦する道でした。
競技引退後はイベント制作を希望
2026年の本人インタビューでは、フジテレビに残った理由についても説明しています。
会社にはさまざまな仕事があるのに、それを知らないまま辞めてしまうのはもったいないと感じたそうです。
スキー関連の仕事のオファーもあったものの、当時は競技者として疲れ切っていたこともあり、一度スキーから距離を置くことを選びました。
そのうえで希望したのがイベント制作の部署でした。
36歳で新人社員と一緒に研修を受け直す
競技生活しか経験してこなかった里谷さんにとって、会社員として本格的に働くことは簡単ではありませんでした。
2026年のインタビューでは、当時の苦労について具体的に語っています。
- 新入社員と一緒に座学研修を受けた
- Excelの教室にも通った
- 文化系イベントの知識を一から勉強した
- 初めて聞く専門用語を覚える必要があった
特に戸惑ったのは、スポーツイベントを担当すると思っていたのに、実際にはクラシック音楽や舞台など、これまであまり接点のなかった分野を担当したことでした。
2024年のSTORYのインタビューでも、覚えたことをノートに書き留めながら仕事を身につけていった経験を紹介しています。
最初から会社員としての経験が豊富だったわけではありません。必要な知識を一つずつ身につけることが、現在の仕事につながっています。
金メダリストの知名度を営業活動に生かす
里谷さんの仕事には、競技時代に築いた知名度や人脈が役立つ場面もあります。
2024年の取材では、イベントの協賛を依頼する際、自分の人脈を使って直接話を進めることもあると説明していました。
また、イベント会場で来場者の表情を見られることや、楽しそうに会場を訪れる人たちの姿が仕事のやりがいにつながっていると話しています。
これはアスリートのセカンドキャリアを考えるうえでも興味深い点です。
競技で獲得した知名度は、会社員として働くうえでの入り口にはなります。しかし、イベントの成功には営業力、企画力、社内外との調整力など、競技とは異なる能力も必要です。
里谷さんは、それらを実務経験と周囲のサポートによって身につけてきました。
今後はスキー関連のイベントにも意欲
2024年のインタビューでは、将来的にスキー関連のイベントにも関わりたいという希望を語っていました。
雪やスキーが好きであることは変わらず、競技とは別の形でスキー界に貢献したいという思いも持っています。
2026年の本人取材でも、モーグルの競技レベルの進化や現役選手への評価について話しており、競技への関心が続いていることがうかがえます。
【里谷多英と上村愛子】モーグル界を支えた二人の関係
里谷多英さんと並んで、日本の女子モーグルを語る際に欠かせない人物が上村愛子さんです。
二人は同じ時代の日本代表として活躍しましたが、競技人生のスタートやオリンピックでの実績には違いがあります。
里谷多英が切り開き、上村愛子が続いた女子モーグル
里谷さんは1976年生まれ、上村さんは1979年生まれ。3歳違いの二人です。
上村さんは1998年長野オリンピックで初出場し、女子モーグル7位に入賞しました。
この大会で金メダルを獲得した里谷さんは、日本女子モーグルの先駆者的な存在です。
笹川スポーツ財団の競技史記事でも、里谷さんは後輩の上村さんに大きな刺激を与えた選手として紹介されています。
二人のオリンピック成績を比較
| 項目 | 里谷多英 | 上村愛子 |
|---|---|---|
| 生年 | 1976年 | 1979年 |
| 初出場 | 1994年リレハンメル | 1998年長野 |
| 長野五輪 | 金メダル | 7位 |
| ソルトレークシティー | 銅メダル | 6位 |
| トリノ | 15位 | 5位 |
| バンクーバー | 19位 | 4位 |
| ソチ | 出場せず | 4位 |
| 五輪出場回数 | 5大会 | 5大会 |
二人は同じ種目で日本の女子モーグルを盛り上げた存在ですが、オリンピックのメダル獲得実績は異なります。
里谷さんは長野の金とソルトレークシティーの銅を獲得。上村さんは5大会連続出場を果たしたものの、オリンピックのメダルには届きませんでした。
上村さんは大会ごとに順位を上げ、最後のソチ大会でも4位に入っています。
ライバルという言葉だけでは語れない関係
二人を単純にライバルとして比較するだけでは、それぞれの功績を十分に理解できません。
里谷さんは日本女子モーグルの歴史に金メダルという大きな実績を残し、上村さんはその後の世代を代表する選手として競技の人気と認知度を高めました。
同じ舞台で戦った二人の存在は、日本のフリースタイルスキーの発展を象徴するものです。
【里谷多英の現在に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:里谷多英は2026年現在、何をしていますか?
A1:フジテレビの社員として働いています。2026年3月のSportivaのインタビューでは、イベント事業局イベント販売企画部の副部長という肩書きが紹介されています。
Q2:里谷多英がモーグルを引退した理由は何ですか?
A2:2012年12月の北米FIS大会でワールドカップ昇格基準を満たせなかったことが直接のきっかけです。2013年1月18日に引退を発表しました。
Q3:里谷多英はオリンピックで何個のメダルを獲得しましたか?
A3:合計2個です。1998年長野大会で金メダル、2002年ソルトレークシティー大会で銅メダルを獲得しました。
Q4:里谷多英はなぜフジテレビに入社したのですか?
A4:当初は競技を引退して普通に働くつもりでした。フジテレビのドラマが好きで、ドラマ制作にも興味を持っていたことが理由の一つです。入社後、競技を続けたいという気持ちが生まれ、会社の理解を得て選手生活を続けました。
Q5:里谷多英と上村愛子は同じ時代に活躍した選手ですか?
A5:はい。二人とも日本を代表する女子モーグル選手です。里谷さんが1998年長野大会で金メダルを獲得した一方、上村さんも同大会で7位に入賞し、その後5大会連続で出場しました。
Q6:里谷多英は現在もスキーに関わっていますか?
A6:競技選手としては2013年に引退しています。現在はフジテレビのイベント事業に携わっていますが、2024年のインタビューでは将来的にスキー関連のイベントにも関わりたいという希望を語っていました。
【プロの結論】里谷多英の現在から見える、金メダリストの第二の人生
里谷多英さんの歩みを振り返ると、長野五輪の金メダルだけでは語り尽くせないキャリアの魅力が見えてきます。
1998年の金メダル、2002年の銅メダル、そして5大会連続のオリンピック出場。日本女子モーグルの歴史を切り開いた選手が、2013年の引退後に選んだのは、競技とは異なるフィールドでの再出発でした。
特に注目したいのは、次の3点です。
- 競技実績と仕事の能力は別物であること: 金メダリストであっても、会社員として新しい知識や仕事の進め方を学び直している。
- 過去の経験は別の分野でも生かせること: 競技時代の知名度、人脈、挑戦する姿勢がイベント事業での強みになっている。
- 引退はキャリアの終わりではないこと: 36歳から新人研修を受け、未経験の文化系イベントに挑戦した経験は、セカンドキャリアの一つのモデルになっている。
2026年の本人インタビューで明らかになったのは、金メダリストという肩書きにとどまらず、会社員としての経験を積み重ねてきた里谷さんの姿です。
今後、スキーイベントなどを通じて競技の魅力を伝える機会が生まれるのかにも注目したいところです。
里谷多英さんの本当の功績は、オリンピックでメダルを獲得したことだけではありません。競技人生を終えた後も新しい環境に飛び込み、自分の役割を見つけてきたことにもあります。
その歩みは、アスリートだけでなく、仕事や人生の転換期を迎える多くの人にとっても示唆に富んでいます。