増位山さんの晩年を考えるうえで重要なのが、2022年12月から始まった療養生活です。
所属事務所の発表によると、増位山さんは2022年12月に体調不良を訴え、医師から敗血症と診断されました。歌手活動を休止し、復帰を目指して療養とリハビリを続けていました。
その後、2025年2月にはステージ復帰の計画があったものの、実現には至りませんでした。そして同年6月15日、肝不全のため76歳で亡くなりました。
増位山太志郎さんの病気療養・死去の時系列
- 2022年12月:体調不良を訴え、医師から敗血症と診断される。
- 2022年12月以降:歌手活動を休止し、復帰に向けた療養とリハビリを続ける。
- 2025年2月:ステージ復帰の計画があったが実現せず。
- 2025年6月15日:午後2時38分、肝不全のため死去。
- 2025年6月17日:所属事務所が訃報を公表。
最後まで歌手活動への復帰を望んでいた
所属事務所の訃報には、増位山さんが最後まで活動復帰を強く望んでいたことが記されています。
「増位山太志郎は最期まで活動復帰できることを強く望んでおりました。」
出典:株式会社ゴールデンミュージックプロモーション、2025年6月17日付訃報
この言葉は、長年にわたって相撲と歌に人生を捧げてきた増位山さんの晩年を象徴しています。
相撲界で大関まで上り詰め、親方として後進を育て、定年退職後は歌手として新しい目標を追い続けた人生。病気によって活動を止めざるを得なくなっても、再びステージに立つ希望を持っていたことが、所属事務所の発表から伝わってきます。
なお、療養中の具体的な入院先や治療内容、肝不全に至った詳しい医学的経過は公表されていません。
【プロの結論】増位山太志郎の人生は大関と歌手、二つの顔で評価したい

増位山太志郎さんの経歴を振り返ると、特筆すべきなのは、一つの分野で成功した後に別の分野へ挑戦したという単純な話ではないことです。
現役力士だった時代から歌手として活動し、相撲界を引退した後も親方として後進を育成。その後、日本相撲協会の定年退職を機に歌手活動へ本格的に軸足を移しました。
この歩みには、次の3つの評価ポイントがあります。
第一に、相撲界に残した歴史的な実績です。
史上初の親子大関という記録に加え、技能賞5回、金星4個という実績があります。大関在位は7場所でしたが、技巧派力士として独自の存在感を示しました。
第二に、歌謡界での確かな実績です。
「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」「男の背中」など、今も代表曲として知られる作品を残しました。加えて、日本有線大賞や日本レコード大賞に関係する受賞歴もあります。元力士という話題性だけでは説明できない音楽活動の成果です。
第三に、引退後も挑戦を続けた姿勢です。
相撲協会を定年退職した後も歌手として活動し、飲食店経営にも取り組みました。2022年の病気療養後もステージ復帰を目指していたことは、その姿勢をよく表しています。
増位山さんを調べる際には、次の事実を区別すると人物像を正確に理解できます。
- 死亡日は2025年6月15日、訃報の公表日は6月17日。
- 公表された死因は肝不全。2022年12月の敗血症診断とは区別する。
- 大関在位は7場所だが、技能賞5回という実績を持つ。
- 歌手デビューは所属事務所・レコード会社のプロフィールでは1972年。
- 2013年の協会退職後も歌手として活動を続けていた。
2026年現在、増位山太志郎さんは新たな活動を続ける人物ではありません。しかし、相撲と歌謡曲の両方に足跡を残した功績は、今後もそれぞれの分野で語り継がれていくはずです。
【増位山の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:増位山太志郎さんは現在も存命ですか?
A1:いいえ。2025年6月15日午後2時38分に76歳で亡くなっています。2026年現在は故人です。所属事務所が6月17日に訃報を発表しました。
Q2:増位山太志郎さんの死因は何ですか?肝不全だったのでしょうか?
A2:はい。所属事務所が公表した死因は肝不全です。2022年12月には敗血症と診断されており、その後は療養とリハビリを続けていました。ただし、両者の医学的な因果関係や詳しい治療経過は公表されていません。
Q3:増位山太志郎さんは大関としてどのくらい活躍しましたか?
A3:1980年3月場所に大関へ昇進し、在位は7場所でした。技能賞5回、金星4個を獲得しています。父の初代増位山大志郎も大関だったため、史上初の親子大関として知られています。
Q4:増位山太志郎さんの代表曲は何ですか?
A4:「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」「男の背中」などです。特に「そんな女のひとりごと」は所属事務所とテイチクのプロフィールで130万枚の売り上げを記録した作品として紹介されています。
Q5:増位山太志郎さんは引退後、何をしていましたか?
A5:1981年の現役引退後は親方となり、1984年に三保ヶ関部屋を継承しました。2013年11月15日に日本相撲協会を定年退職した後は、本格的に歌手活動へ専念。2015年には「ちゃんこ増位山」も開店しましたが、同店は現在閉店しています。
まとめ:増位山太志郎が残した相撲と歌の功績
増位山太志郎さんは、2025年6月15日に76歳で亡くなりました。死因は肝不全で、2022年12月に敗血症と診断されて以降、療養とリハビリを続けていました。
大相撲では史上初の親子大関として歴史に名を刻み、引退後は三保ヶ関部屋の師匠として後進を育成。歌手としては「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」などのヒット曲を残しました。
特に印象的なのは、病気療養に入った後も歌手活動への復帰を願い続けていたことです。
土俵では技巧派の大関として、歌謡界では多くの人に親しまれた歌手として活躍した増位山太志郎さん。その人生は、相撲と音楽という二つの世界に大きな足跡を残したものでした。
2026年に「増位山の現在」を調べる読者にとって、まず知っておきたいのは2025年の訃報です。そして、その事実とともに、長年にわたる相撲人生と歌手としての功績を振り返ることが、増位山さんの人物像を正しく理解することにつながります。
主な参照資料:日本相撲協会公式サイト、ゴールデンミュージックプロモーション公式プロフィール・訃報、テイチクレコード公式プロフィール、日刊スポーツ、オリコンニュース。