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長岡京ワラビ採り殺人事件の真相は?謎のメモと捜査、1994年時効成立までを徹底解説

長谷 拓也 長谷 拓也 • 更新: • 公開: • 読了約 22 分
目次

1979年5月23日、京都府長岡京市の山中で、ワラビ採りに出かけた主婦2人が行方不明になった。2日後の5月25日、2人は山中で遺体となって発見された。事件を象徴することになったのは、被害者の衣服から見つかったと報道された、スーパーのレシート裏の走り書きだった。「オワレている」「たすけて下さい」という言葉が残されていたとされるこのメモは、昭和の未解決事件を語るうえで、現在も大きな謎として残っている。

長岡京ワラビ採り殺人事件は、別名「長岡京主婦2人殺害事件」とも呼ばれる。京都府警による捜査では、包丁の入手経路、目撃された男性、現場周辺の人物、単独犯・複数犯の可能性など、複数の捜査線が浮上した。しかし犯人は特定されず、1994年5月に公訴時効が成立。2026年現在も、犯人を認定する刑事裁判は行われていない。事件発生から遺体発見までの経緯、謎のメモの意味、捜査の実態、そして現在の法的状況を時系列で整理する。

【事件の概要】1979年5月23日、長岡京市の山中で何が起きたのか

長岡京ワラビ採り殺人事件

長岡京ワラビ採り殺人事件が発生したのは、昭和54年に当たる1979年5月23日。京都府長岡京市の山中で、ワラビ採りに出かけた主婦2人が消息を絶ったことから事件は始まった。

ワラビ採りに出かけた主婦2人が帰宅しなかった

事件当日、2人の主婦は山菜採りを目的に山へ出かけた。しかし、予定の時間を過ぎても帰宅しなかったため、家族らが心配する事態となった。

当時の京都新聞の紙面を調査した国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、5月25日朝刊の見出しとして「主婦2人 2晩帰らず 長岡京」と記録されている。

つまり、当初は行方不明事件として報じられていたものが、同日の夕刊で重大な殺人事件へと展開したのである。

5月25日、山中で2人の遺体を発見

1979年5月25日、京都府長岡京市の山中で、行方不明になっていた主婦2人が遺体で発見された。

京都新聞の同日夕刊には「長岡京の不明主婦 2人とも殺されていた 山中で遺体発見」という見出しが掲載されている。

翌26日には、事件の重大性を伝える記事が朝刊1面にも掲載された。現場の状況や被害者の遺体の状態が報じられ、京都府警は不審者の洗い出しを進めることになる。

事件の特徴は、金品を奪うことを目的とした一般的な強盗事件とは異なる様相を呈していた点にある。現場に残された物証や遺留品、被害者の所持品が、その後の捜査において重要な意味を持つことになった。

事件が社会に与えた衝撃

山菜採りという日常的な行動の最中に、2人の主婦が命を奪われたことは、地域社会に大きな衝撃を与えた。

国立国会図書館の記録には、5月26日朝刊の「お母さんは帰ってこない」という記事見出しや、告別式を伝える5月28日夕刊の記事も残っている。

単なる事件報道ではなく、帰宅を待つ家族の悲しみや地域の動揺も当時の新聞に記録されている。事件の背景を理解するには、こうした被害者と家族の存在を忘れてはならない。

【最大の謎】「オワレている 助けて」レシートの走り書きは何を意味するのか

長岡京ワラビ採り殺人事件を現在まで有名にしている最大の要素が、被害者の衣服から見つかったと報じられたメモである。

1979年5月28日、京都新聞夕刊は「『たすけて』ポケットにメモ」という見出しで、この事件に関する新たな捜査情報を報じた。国立国会図書館の新聞記事調査記録でも、同日の1面記事として確認できる。

レシートの裏に残されていたSOS

当時の新聞記事を引用した後年の資料では、被害者のポケットから発見されたメモの文面は、次のように紹介されている。

「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」

このメモは、スーパーのレシートの裏面に鉛筆で書かれていたと伝えられている。紹介されている当時の報道内容によれば、レシートは5月21日付で、被害者のジーンズのポケットに丸めて入っていたという。

また、当時の中日新聞の記事を引用する資料では、筆跡鑑定によって被害者本人の文字と判断されたことも紹介されている。

注目すべきなのは、単に助けを求める文章が残されていたという事実だけではない。メモには「この男の人」という表現があり、被害者が少なくとも何らかの男性の存在を意識していた可能性が示されている。

メモはどのような状況で書かれたのか

当時の捜査本部は、被害者の一方がもう一方の女性に対する犯人の暴行中に、隙を見てメモを書いた可能性を検討したと報じられている。

レシートのような小さな紙片に短い文章を残し、いったん衣服のポケットにしまったという状況は、何らかの形で第三者に助けを求めようとした可能性を考えさせる。

一方、メモが発見されたことだけで、書かれた正確な時刻や場所、犯人との距離、書いた後に何をしようとしたのかまで確定するわけではない。

警察が当時想定した状況と、後年の解説記事で描かれる具体的な犯行場面は、証拠としての重みが異なる。メモは重要な捜査資料だったが、それだけで犯人の人数や身元が判明したわけではなかった。

鉛筆も捜査対象になった

メモに関連して見逃せないのが、筆記具の捜索である。

京都新聞の1979年5月29日夕刊には「エンピツ捜しに全力」という見出しが掲載されている。捜査がメモの内容だけでなく、文字を書くために使用された鉛筆にも及んでいたことが分かる。

メモ、筆記具、現場の状況を組み合わせ、被害者がどのような状況に置かれていたのかを明らかにしようとする捜査だった。

しかし、公開されている記録からは、鉛筆の捜索が犯人の特定につながったという結論は確認できない。

【京都府警の捜査】包丁・目撃情報・重要参考人を追った経緯

事件発生後、京都府警は複数の手掛かりを追って捜査を進めた。捜査の焦点となったのは、凶器の包丁、現場周辺の目撃情報、メモに関連する筆記具、そして事件当時に現場周辺にいた人物だった。

包丁の製造元と販売経路を追跡

1979年5月26日の京都新聞夕刊には「事前に包丁用意」、28日朝刊には「包丁の製造元判明」という見出しが掲載された。

さらに30日朝刊では「包丁は『横流し品』? 販売ルート限定」と報じられている。

これらの記事からは、警察が凶器の由来を調べ、製造元だけでなく、どのような経路で流通したのかを追っていたことが分かる。

ただし、製造元が分かることと、購入者や実際の使用者を特定することは別問題だ。包丁の流通経路に関する捜査は報じられたものの、犯人の身元を確定する決定的な結果には至らなかった。

急ぎ足で下山する男性の目撃情報

5月29日の京都新聞朝刊には「急ぎ足で下山の男 農作業中の人が目撃」という見出しが掲載された。

山中で発生した事件である以上、犯行が行われたと考えられる時間帯に現場周辺を通過した人物の確認は、捜査上の重要な手掛かりだった。

この男性が事件に関係していたのかどうかは、公開情報からは確定していない。目撃されたという事実と、犯人だったという判断は明確に区別する必要がある。

向日町警察署の捜査本部と若い男性2人

当時の中日新聞記事を引用した資料では、京都府警の向日町署捜査本部が事件の捜査を進めていたことが紹介されている。

また、5月31日の京都新聞朝刊には「重要参考人に若い男2人 一両日にも取り調べ」という見出しが掲載された。同日夕刊にも、2人に対する任意の事情聴取を見込む記事が掲載されている。

この報道は、捜査が具体的な人物に及んでいたことを示すものだが、重要参考人という立場は犯人と認定されたことを意味しない。

逮捕、起訴、有罪判決とは異なる捜査段階であり、後年になって当時の参考人を犯人扱いすることはできない。2人の事情聴取が報じられたことと、事件の真相が解明されたことの間には大きな隔たりがある。

1979年5月から1994年までの重要な時系列

国立国会図書館のレファレンス協同データベースに登録された京都新聞の紙面調査記録を中心に、事件の主要な動きを整理すると次のようになる。

時期 出来事・報道内容 捜査上の意味
1979年5月23日 主婦2人がワラビ採りに出かけたまま行方不明になる 事件発生
5月25日 長岡京市の山中で2人の遺体を発見 殺人事件として捜査開始
5月26日 不審者の洗い出し、包丁の事前準備に関する報道 犯人と凶器の追跡
5月28日 レシートのメモ発見、包丁の製造元判明が報じられる メモと凶器の両面から捜査
5月29日 急ぎ足で下山する男性の目撃、鉛筆の捜索 目撃情報と筆記具の確認
5月30日 複数犯の可能性や包丁の販売経路が報じられる 犯行人数と凶器の流通経路を検討
5月31日 若い男性2人が重要参考人として報じられる 任意の事情聴取を見込む段階
1994年5月 事件当時の公訴時効が成立 刑事訴追ができない状態になる
2010年 重大な殺人事件などの公訴時効が廃止 すでに時効が成立した本件には適用されない
2026年 犯人を認定する刑事裁判は存在しない 未解決のまま法的に時効成立済み

この時系列で重要なのは、事件直後の捜査が一つの方向だけに限定されていなかったことだ。メモ、包丁、目撃情報、参考人という複数の線が並行して調べられていた。

なお、新聞の見出しは当時の捜査状況や報道上の見立てを示すものであり、後の裁判によって認定された事実ではない。

【犯人の正体と犯人像】単独犯なのか複数犯なのか

長岡京ワラビ採り殺人事件で現在も大きな疑問として残っているのが、犯人の人数と人物像である。

当時の新聞記事には、単独犯の可能性を示す見出しがある一方、複数犯の可能性を検討する記事も存在する。捜査の初期段階から、犯行人数について複数の見方があったことがうかがえる。

単独犯説が浮上した理由

1979年5月28日の京都新聞夕刊は、「『たすけて』ポケットにメモ 長岡京2主婦殺害事件 単独犯の可能性」と報じている。

被害者がメモを書ける時間や状況が存在したという捜査上の見立てが、単独犯の可能性を検討する材料になったとされる。

ただし、この見出しは当時の捜査段階の情報を伝えたものであり、単独犯だったことを確定する判決や公式な最終認定ではない。

複数犯説が検討された背景

一方、5月30日の京都新聞朝刊には「犯人は2人? 山村さん(女流作家)は推理する」という記事が掲載されている。

これは、事件の状況から複数犯の可能性を考察した記事だった。

2人が同じ現場で殺害されたという状況を踏まえ、犯行に必要な時間や被害者への対応などを考えると、複数の人物が関与した可能性も議論の対象になった。

しかし、単独犯説にも複数犯説にも、最終的な犯人の人数を確定するだけの司法判断は存在しない。

当時報じられた人物と犯人を混同してはいけない

事件後には、急ぎ足で下山する男性や、重要参考人として報じられた若い男性2人など、複数の人物が捜査に関連して報道された。

しかし、目撃情報に登場する人物と、事情聴取の対象になった人物が、実際の犯人だったという証拠は公表されていない。

また、メモに書かれた「この男の人」という言葉から、犯行に関与した人物が必ず1人だったと結論付けることもできない。

現時点で確認できる情報から整理できるのは、次のとおりだ。

  • 単独犯の可能性は、1979年5月28日の新聞報道で取り上げられた。
  • 複数犯の可能性も、5月30日の新聞記事で検討された。
  • 若い男性2人が重要参考人として報道された。
  • 急ぎ足で下山する男性の目撃情報も報じられた。
  • 犯人の氏名、年齢、職業、犯行動機、人数は確定していない。

つまり、犯人像について語られている情報の多くは、当時の捜査線や報道上の仮説にとどまっている。特定の人物を犯人と断定できる公的な証拠や判決は存在しない。

【1994年に公訴時効成立】2010年の時効廃止でも事件が復活しない理由

長岡京ワラビ採り殺人事件の法的な転換点は、1994年5月に訪れた。

犯人が特定されないまま、事件発生から15年が経過し、当時の法律に基づく殺人罪の公訴時効が成立したのである。

事件当時の殺人罪の公訴時効は15年

1979年当時、死刑に当たる犯罪についての公訴時効期間は15年だった。

殺人罪は死刑が法定刑に含まれる犯罪であるため、当時の制度では15年間の経過によって公訴時効が完成する仕組みだった。

1979年5月に発生した本事件は、犯人が起訴されないまま1994年5月を迎え、公訴時効が成立した。

殺人事件被害者の遺族による支援団体「宙の会」の事件一覧でも、1979年5月23日発生の「京都長岡京主婦二人殺人事件」は、時効成立として掲載されている。

2010年に殺人罪の公訴時効が廃止された

日本では2010年4月、刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律が施行され、人を死亡させた罪のうち死刑に当たる犯罪について、公訴時効が廃止された。

これにより、現在の殺人事件では、原則として時間の経過だけを理由に刑事訴追ができなくなることはない。

しかし、ここで重要になるのが法律の経過措置である。

法務省の改正資料には、2010年の改正法施行時点ですでに公訴時効が完成していた犯罪については、新しい制度を適用しないことが明記されている。

長岡京事件はなぜ再び起訴できないのか

長岡京ワラビ採り殺人事件は、2010年の改正法が施行される16年前の1994年に、すでに公訴時効が成立していた。

そのため、2010年に殺人罪の公訴時効が廃止されても、本事件の時効が取り消されたり、再び起訴できる状態になったりすることはない。

ここには、現在の制度と過去の事件を混同しやすい問題がある。

「現在の殺人事件には時効がない」という説明は正しいが、それを1979年に発生した本事件にそのまま当てはめることはできない。

事件の真相が解明されたかどうかと、公訴時効が成立したかどうかは別の問題である。長岡京事件では、犯人を認定する刑事裁判が行われないまま、刑事訴追の道が閉ざされた。

【2026年現在の事件状況】判明した事実と未確認情報を整理

事件発生から47年が経過した2026年11月現在も、長岡京ワラビ採り殺人事件は未解決事件として記録されている。

事件を振り返る際には、当時の新聞紙面で確認できる内容と、その後に広まった推測を分けて理解することが大切だ。

現在までに確認できる主要な事実

  • 1979年5月23日に京都府長岡京市で主婦2人が行方不明になった。
  • 同月25日に2人の遺体が山中で発見された。
  • 5月28日の新聞報道で、レシートに書かれた「たすけて」というメモの存在が伝えられた。
  • 包丁の製造元や販売経路が捜査対象になった。
  • 下山する男性の目撃情報が報じられた。
  • 若い男性2人が重要参考人として報道された。
  • 1994年5月に公訴時効が成立した。
  • 2010年の公訴時効廃止は、本事件には遡及適用されない。

現在も確定していない情報

一方、事件の核心部分には、現在も解明されていない問題が残る。

  • 実際に犯行を行った人物の氏名や身元。
  • 犯人が単独だったのか、複数だったのか。
  • 犯行の具体的な動機。
  • 被害者2人が犯人と接触した正確な経緯。
  • メモが書かれた正確な時刻と場所。
  • メモに登場する男性と実際の犯行との関係。
  • 当時の重要参考人と事件との関係。

これらは事件の真相を考えるうえで重要な論点だが、確定した答えが存在するわけではない。

警察による捜査の報道とネット上の推測は別物

この事件では、レシートのメモをめぐる疑問や、犯人の人数、当時の重要参考人について、さまざまな考察がインターネット上で紹介されている。

なかには、メモの成立過程や警察発表の信頼性そのものを疑う説も見られる。

しかし、特定の資料に対する疑問や個人の推理が、そのまま警察による捏造や特定人物の犯行を証明するものではない。

特に注意したいのは、次の3つの情報を混同しないことだ。

  • 当時の新聞報道:1979年の京都新聞などに掲載された記事や見出し。
  • 捜査段階の情報:単独犯の可能性、参考人、目撃情報など、その時点で警察が調べていた内容。
  • 後年の考察:メモの解釈や犯人像について、個人やウェブメディアが提示した推測。

この3つを整理することによって、事件について何が判明していて、何が依然として謎なのかが見えやすくなる。

2026年8月に更新された事件記録でも、本事件は未解決・時効成立として整理されている。少なくとも公開されている資料上、犯人を特定する新たな刑事裁判や判決は確認できない。

【よくある質問】長岡京ワラビ採り殺人事件に関するFAQ

Q1:長岡京ワラビ採り殺人事件はいつ発生した?
A1:1979年5月23日(昭和54年)に発生した。京都府長岡京市でワラビ採りに出かけた主婦2人が行方不明になり、5月25日に山中で遺体となって発見された。

Q2:「オワレている 助けて」というメモは本当に存在した?
A2:1979年5月28日の京都新聞夕刊が、被害者のポケットから「たすけて」と書かれたメモが発見されたと報じている。後年の資料では、スーパーのレシート裏に「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」と書かれていたと紹介されている。

Q3:犯人は単独犯だったのか、複数犯だったのか?
A3:確定していない。1979年5月28日の京都新聞夕刊では単独犯の可能性が報じられ、30日には複数犯の可能性を考察する記事も掲載された。犯行人数を認定する判決は存在しない。

Q4:若い男性2人は犯人だったのか?
A4:犯人と認定された事実はない。1979年5月31日の京都新聞で重要参考人として報じられたが、重要参考人という立場は有罪を意味しない。

Q5:長岡京ワラビ採り殺人事件はなぜ時効になった?
A5:事件当時の殺人罪の公訴時効期間が15年だったため。1979年5月の事件は、犯人が起訴されないまま1994年5月に公訴時効が成立した。

Q6:2010年の殺人事件の時効廃止で再捜査・起訴できるようになった?
A6:2010年の改正法は、すでに公訴時効が完成していた事件には適用されない。長岡京事件は1994年に時効が成立しているため、制度改正によって再び起訴できるようにはなっていない。

まとめ:長岡京ワラビ採り殺人事件の真相は今も明らかになっていない

長岡京ワラビ採り殺人事件は、1979年5月23日に京都府長岡京市で発生した、主婦2人が犠牲になった未解決殺人事件である。

5月25日の遺体発見、レシート裏に残された「オワレている」「たすけて下さい」というメモ、包丁の販売経路を追う捜査、下山する男性の目撃情報、重要参考人として報じられた若い男性2人。事件直後には複数の手掛かりが浮上したものの、犯人の特定には至らなかった。

そして1994年5月、事件当時の法律に基づく公訴時効が成立した。2010年には殺人罪の公訴時効が廃止されたが、すでに時効が完成していた本事件には適用されていない。

この事件を振り返るうえで最も重要なのは、印象的なメモや犯人像に関する推理だけに注目するのではなく、当時の新聞報道、警察の捜査情報、法的に確定した事実を区別することだ。

2026年現在も、犯人の正体や犯行動機、単独犯・複数犯の別は明らかになっていない。レシートに残された短い言葉は、事件の謎を象徴する資料として語り継がれている。

事件の真相を知るために必要なのは、刺激的な犯人説を追いかけることだけではない。国立国会図書館に残る当時の新聞記録や、殺人事件被害者遺族の会「宙の会」の記録、法務省の公訴時効制度に関する資料を照らし合わせ、確認できる事実を積み重ねることにある。

47年という時間が経過しても、2人の命が奪われた事件そのものが消えることはない。長岡京ワラビ採り殺人事件は、昭和の未解決事件として、今も多くの人に記憶されている。


主な参考資料

  • 国立国会図書館レファレンス協同データベース「京都新聞・昭和54年5月24日夕刊~31日の関連記事照会」
  • 京都新聞・1979年5月25日~31日掲載の事件関連記事
  • 殺人事件被害者遺族の会「宙の会」事件一覧
  • 法務省「刑事訴訟法における公訴時効に関する改正」
  • 1979年5月28日付中日新聞記事を引用した事件関連資料
  • 日本事件データベース「長岡京主婦2人殺害事件」2026年更新資料

資料確認・出典

- 国立国会図書館の新聞記事調査記録:
- 当時の捜査報道と事件経過の整理:
- 遺族団体「宙の会」の時効成立記録:
- 法務省の公訴時効改正・経過措置:

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長谷 拓也
コンテンツディレクター 長谷 拓也
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芸能ニュース担当として3年以上の取材経験。geinou領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

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