松岡修造さんの家系を理解する要点は、父方に小林一三につながる小林家と、松岡汽船を創業した松岡家の二つの系譜があり、母方には山本家の歴史があることです。
それぞれを整理すると、次のようになります。
父方:小林家・松岡家
- 曽祖父:小林一三(阪急・宝塚・東宝の事業に関わった実業家)
- 祖父:松岡辰郎
- 父:松岡功
- 兄:松岡宏泰
- 本人:松岡修造
さらに父方の祖母・松岡節子さんの家系をさかのぼると、同じ名前を持つ高祖父・初代松岡修造さんにたどり着きます。
母方:山本家
- 祖父:山本喜之輔
- 祖母:フサ子
- 母:静子(宝塚歌劇団での芸名は千波静)
- 本人:松岡修造
つまり、小林一三と初代松岡修造は、それぞれ異なる父方の系譜に位置する人物です。母方の山本家とは区別して考える必要があります。
家系図に登場する主要人物一覧
【父・松岡功と兄・松岡宏泰】東宝につながる松岡家の経歴

父・松岡功は東宝の経営を担った元テニス選手
松岡修造さんの父・松岡功さんは、東宝の社長を務めた実業家です。
松岡功さんは1934年生まれ。1957年に東宝へ入社し、取締役、常務、副社長などを歴任しました。1977年に社長に就任し、1990年代半ばまで東宝の経営を担いました。
興味深いのは、功さんも若い頃にテニス選手として活躍していたことです。大学選手権での優勝経験があり、デビスカップにも日本代表として出場した経歴を持っています。
つまり、松岡修造さんのスポーツへの情熱は、必ずしも本人の代から始まったものではありません。
父もテニスに打ち込んだ経験があり、息子の修造さんは競技者としての道をさらに切り開きました。
兄・松岡宏泰は2026年現在も東宝の社長
松岡修造さんの兄は、松岡宏泰さんです。
修造さんがプロテニス選手として世界を舞台に活動したのに対し、宏泰さんは映画・エンターテインメント業界で経営者としてのキャリアを積み重ねました。
主な経歴は次のとおりです。
- 1989年:慶應義塾大学法学部卒業
- 1991年:米国の大学で経営学を学ぶ
- 1994年:東宝東和に入社
- 2008年:東宝東和の社長に就任
- 2014年:東宝の取締役に就任
- 2022年5月:東宝の社長に就任
2022年3月、東宝は島谷能成社長の後任として宏泰さんを社長に起用する人事を発表しました。
東宝の公式役員情報では、2026年5月28日現在、松岡宏泰さんが代表取締役社長・社長執行役員として掲載されています。
兄弟でありながら、一人はスポーツ界、もう一人は映画・エンターテインメント業界という異なる道を歩んでいる点も、この家系の特徴です。
【曽祖父・小林一三】阪急電鉄・宝塚歌劇団・東宝を築いた実業家
松岡修造さんの家系を語るうえで欠かせない人物が、曽祖父の小林一三さんです。
小林一三さんは、1873年1月3日に山梨県で生まれ、1957年1月25日に亡くなった実業家です。
慶應義塾を卒業した後、三井銀行に入行。その後、鉄道事業に転身し、阪急電鉄の前身となる箕面有馬電気軌道の創立に参画しました。
小林一三が築いた事業の歴史
小林一三さんの功績は、単に鉄道会社をつくったことだけではありません。
鉄道を利用する人を増やすため、沿線に住宅地を開発し、百貨店や娯楽施設を整備するという事業モデルを生み出しました。
代表的な出来事を整理します。
- 1907年(明治40年):箕面有馬電気軌道の創立に参画。
- 1910年(明治43年):箕面有馬電気軌道が営業運転を開始。
- 1914年(大正3年):宝塚少女歌劇の初公演。
- 1929年(昭和4年):阪急百貨店が開業。
- 1932年(昭和7年):株式会社東京宝塚劇場を設立。
- 1937年(昭和12年):東宝映画株式会社の創立。
これらは阪急文化財団や阪急電鉄、東宝の公式沿革にも記録されています。
なぜ小林一三は現在も大きな存在なのか
小林一三さんの経営思想で特徴的なのは、鉄道だけを単独で発展させようとしなかったことです。
鉄道を敷き、住宅を販売し、買い物ができる百貨店をつくり、観劇を楽しめる宝塚歌劇を育てる。
生活そのものを豊かにする仕組みを一体的につくり上げました。
その考え方は、現在の阪急阪神東宝グループにもつながっています。
松岡修造さんが小林一三さんの曽孫であるという事実は、単なる著名人同士の血縁関係ではありません。日本の鉄道、演劇、映画という文化産業の歴史に接続する家系なのです。
【母・千波静の実家】NHKが明かした山本家のルーツと祖母フサ子
2025年8月18日放送のNHK総合『ファミリーヒストリー 松岡修造 ~夢に人生をかけた“華麗なる一族”~』では、父方の華やかな実業家の歴史だけでなく、母方の山本家の物語にも時間が割かれました。
ここで注目されたのが、母・千波静さんの生い立ちです。
母・千波静は元宝塚歌劇団の男役スター
松岡修造さんの母は、静子さん。宝塚歌劇団では千波静(ちなみ・しずか)という芸名で活動していました。
昭和32年(1957年)にデビューし、雪組の男役として活躍した人物です。
加えて、千波静さんの姉・千波淳さんと妹・千波薫さんも元タカラジェンヌでした。
母親だけでなく、姉妹にも宝塚歌劇団との縁があったのです。
母方の山本家は静岡市清水区にルーツがある
NHKの番組で紹介された母方の山本家のルーツは、静岡市清水区です。
母方の祖父にあたる山本喜之輔さんは、地域の農家をまとめる家に生まれました。
その後、幼稚園の先生をしていたフサ子さんと結婚し、東京へ移住。町工場で働き始め、やがて自ら会社を立ち上げました。
ところが、太平洋戦争中の空襲で自宅と工場を失うという大きな困難に直面します。
さらに長男を事故で亡くすという悲しい出来事もありました。
それでも喜之輔さんは工場を再建。フサ子さんは娘たちを育て、家庭を支えました。
この家族の歩みは、単に著名人の親族を紹介するだけでは伝わらない、戦前・戦中・戦後を生きた一家の歴史でもあります。
祖母フサ子は松岡修造にとって特別な存在だった
番組で特に印象的だったのが、松岡修造さんと母方の祖母フサ子さんとの関係です。
修造さんは海外遠征から帰国すると、祖母の家に立ち寄り、手作りのみそ汁を飲むことを習慣にしていたと語っています。
ウィンブルドンなどの厳しい試合を戦っていた時期にも、祖母の存在が心の支えになっていたそうです。
番組を見終えた修造さんは、祖母について涙を浮かべながら、いつも笑顔で前向きな人だったと振り返りました。
その言葉から伝わるのは、名門家系という肩書きとは別の、家庭の中で受け継がれてきた温かさです。
【高祖父・初代松岡修造】松岡汽船を創業した実業家との意外な血縁
2025年の『ファミリーヒストリー』で、視聴者と松岡修造さん自身を驚かせたのが、高祖父も松岡修造という名前だったという事実です。
しかも、同じ名前というだけではありません。
初代松岡修造さんは、海運業で成功した実業家でした。
1859年生まれの初代松岡修造
番組で紹介された初代松岡修造さんは、1859年(安政6年)生まれ。
若い頃は米の仲買人として商売を行い、米価の変動を見極めながら財を築いた人物でした。
その後、事業を海運業へと広げ、1922年(大正11年)に松岡汽船を創業しました。
つまり、松岡修造さんの家系には、小林一三さんの鉄道・娯楽事業とは別に、海運業で成功した実業家の歴史も存在していたのです。
初代松岡修造と現在の松岡修造はどうつながる?
ここは家系図を理解するうえで間違えやすい部分です。
初代松岡修造さんは、母方の山本家ではなく、父方の祖母・松岡節子さんにつながる家系の人物です。
松岡節子さんの祖父にあたるのが、初代松岡修造さんでした。
そのため、現在の松岡修造さんから見ると高祖父にあたります。
小林一三さんが曽祖父であることと矛盾するわけではありません。父方の祖父につながる小林家と、父方の祖母につながる松岡家という、異なる家系の歴史があるからです。
松岡修造本人も驚いた同名の先祖
NHKの番組では、初代松岡修造さんの存在を知った本人が、驚きを隠せない様子を見せました。
「こんなの知っとけよ!っていう話ですよね」
この発言は、日刊スポーツが2025年8月19日に報じたものです。自分と同じ名前の先祖が、約160年以上前に生まれ、海運事業を成功させていたという事実に、本人も驚いたようです。
松岡汽船の歴史にも戦争の影響があった
番組では、松岡汽船の戦前・戦中の歴史にも触れられました。
太平洋戦争では、民間の船舶も輸送船として徴用されました。番組の紹介内容によれば、松岡汽船は終戦までに船14隻と船員237人を失ったとされています。
事業の成功だけではなく、戦争によって大きな損失を受けた歴史も、松岡家の歩みの一部です。
【妻・田口恵美子と子供】松岡修造の現在の家族構成
先祖や親族の歴史に注目が集まりがちな松岡修造さんですが、現在の家族についても整理しておきましょう。
妻は元テレビ東京アナウンサーの田口恵美子さんです。
2人の間には、長女・長男・次女の3人の子供がいます。2025年のインタビューでは、子供たちはすでに成人していることも紹介されています。
妻・田口恵美子は元テレビ東京アナウンサー
田口恵美子さんは、元テレビ東京のアナウンサーです。
松岡修造さんはテレビ番組で妻について語った際、アナウンサーとしてだけでなく、ディレクターとしても能力が高く、ハーバード大学や大学院で学んだ経歴を持つ人物として紹介していました。
妻の仕事や学歴について、松岡さん自身が尊敬の気持ちを示していたことも印象的です。
松岡修造の子供は一男二女
子供の構成は次のとおりです。
- 長女:恵さん
- 長男:一般に詳しいプロフィールは公表されていない
- 次女:一般に詳しいプロフィールは公表されていない
長女の恵さんについては、2019年に宝塚音楽学校を卒業したことを松岡さん自身が公式サイトのコラムで報告しています。
母親の千波静さんも元宝塚歌劇団の男役だったことから、母と娘の双方が宝塚に関わった経歴を持つことでも話題になりました。
2025年7月の「たまひよONLINE」のインタビューでは、松岡さん自身が3人の子供の出産にすべて立ち会った経験について語っています。
家族のプライベートを細かく公開しているわけではありませんが、子供たちの誕生や成長を大切にしてきた父親としての一面が伝わります。
【プロの結論】松岡修造の家系図から分かる3つの重要な事実
松岡修造さんの家系図を読み解くと、単に著名な実業家を先祖に持つという話では終わりません。
重要なのは、異なる分野で活躍した家族の歴史が、現在の松岡家につながっていることです。
1. 小林家と松岡家は父方でつながる異なる系譜
小林一三さんは鉄道・演劇・映画の事業を築いた人物です。
一方、初代松岡修造さんは米の取引から海運業へと進み、松岡汽船を創業した人物です。
この二つの家系が父方で結びついている点が、家系図の最大の特徴です。
2. 母方の山本家には芸能と家族の歴史がある
母・千波静さんは宝塚歌劇団の男役スターでした。
その背景には、山本喜之輔さんと祖母フサ子さんの人生、戦争による困難、家族を支えた努力がありました。
松岡さんが祖母を特別に慕っていたというエピソードは、家系図に人間的な深みを与えています。
3. 家業を継ぐことだけが松岡家の進路ではない
父・松岡功さんと兄・松岡宏泰さんは東宝の経営に携わりました。
一方、松岡修造さんはプロテニス選手として世界に挑戦し、引退後はスポーツキャスターとして活動しています。
同じ家庭で育っても、それぞれが異なる分野で自分の道を選んできました。
ここに注目すると、松岡家の歴史は単なる企業一族の継承ではなく、世代ごとに新しい挑戦を重ねてきた家族の歴史として理解できます。
松岡修造の家系図に関するよくある質問(FAQ)
Q1:松岡修造の曽祖父は小林一三ですか?
A1:はい。小林一三さんは松岡修造さんの曽祖父です。阪急電鉄の前身となる鉄道事業や宝塚歌劇団、東宝の創設・発展に関わった実業家です。
Q2:松岡修造の高祖父も松岡修造という名前だったのですか?
A2:はい。父方の祖母・松岡節子さんの祖父が、初代松岡修造さんです。1859年生まれで、1922年に松岡汽船を創業した実業家でした。
Q3:松岡修造の母親は宝塚出身ですか?
A3:はい。母親の静子さんは、千波静という芸名で宝塚歌劇団の雪組男役として活動していました。母方の山本家は静岡市清水区にルーツがあります。
まとめ:松岡修造の家系図は小林家・松岡家・山本家の歴史が交わる
松岡修造さんの家系図を整理すると、父方には東宝元社長の松岡功さん、東宝社長の松岡宏泰さん、曽祖父の小林一三さん、そして松岡汽船を創業した高祖父・初代松岡修造さんがいます。
母方には元宝塚歌劇団の千波静さんと、静岡市清水区にルーツを持つ山本家の歴史があります。2025年8月のNHK『ファミリーヒストリー』は、こうした複数の家系をつなぎ、松岡修造さんの知られざるルーツを紹介しました。
2026年現在も兄の松岡宏泰さんは東宝の代表取締役社長を務めています。一方、修造さん自身はスポーツの世界で独自のキャリアを築いてきました。
家系図から見えてくるのは、阪急・宝塚・東宝を築いた実業家の血筋だけではありません。海運業に挑んだ先祖、宝塚の舞台に立った母、家族を支えた祖母、そして自分の夢を追い続けた松岡修造さん。それぞれの人生が重なって、現在の松岡家の歴史を形づくっています。