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革マル派と中核派の違いを比較|1963年の分裂理由から2026年最新動向まで徹底解説

葛西 纱英 葛西 纱英 • 更新: • 公開: • 読了約 23 分
目次

革マル派と中核派は、どちらも1960年代の日本の新左翼運動から生まれた革命的共産主義を掲げる政治組織ですが、思想的な重点、組織運営、労働運動への関わり方、学生運動の展開には明確な違いがあります。両派が分裂したのは1963年2月。革マル派は黒田寛一、中核派は本多延嘉を中心として、それぞれ異なる組織路線を形成しました。

2026年3月に警察庁が公表した「極左暴力集団の現状等」では、革マル派の勢力を約5,500人、中核派を約4,700人としています。ただし、この数字の基準日は2026年ではなく2024年6月です。加えて、2025年の検挙事例や中核派内部の対立、2026年の集会活動などを確認すると、両派の現在の姿も見えてきます。歴史的な分裂理由から2026年の最新動向まで、両組織の違いを整理します。

【まず結論】革マル派と中核派の違いは思想・組織運営・活動方針にある

革マル派中核派違い

革マル派と中核派は、もともと同じ革命運動の組織から生まれた関係にあります。共通するのは、マルクス主義やトロツキズムの影響を受け、既存の政治・社会体制を変革する革命運動を志向してきたことです。

しかし、革命を実現するためにどのような党組織をつくり、労働者や学生とどう結び付くべきかという点で意見が分かれました。その対立が1963年の分裂につながっています。

革マル派の特徴

革マル派の正式名称は「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」です。

創始者として知られる黒田寛一の理論を継承し、反帝国主義・反スターリン主義を掲げる革命的マルクス主義の立場を取ります。警察庁の2026年3月資料では、黒田前議長の遺志を継承し、組織建設を重視する姿勢が特徴として挙げられています。

特に、基幹産業の労働組合を通じた組織拡大が重要な活動領域です。JR総連やJR東労組との関係も、長年にわたり警察庁や国会で取り上げられてきました。

中核派の特徴

中核派の正式名称は「革命的共産主義者同盟全国委員会」です。

本多延嘉らが中心となって1963年に成立し、労働者を基盤とする階級的労働運動や学生運動、大衆運動を通じた組織拡大を重視してきました。

国鉄闘争、反戦・反基地闘争、反原発運動など、社会的な争点に結び付いた活動を展開している点も特徴です。学生組織の全学連や反原発運動のNAZENなどが、関連する活動を理解するうえで重要なキーワードになります。

つまり、両派の違いは単に主張する政策が異なるというものではありません。革命運動の担い手をどう組織し、どのような活動を通じて影響力を拡大するかという、組織戦略の違いに根差しています。

【1963年の分裂理由】黒田寛一と本多延嘉の路線対立を解説

革マル派と中核派の関係を理解するには、1963年以前の新左翼運動の流れを知る必要があります。

共通の母体は革命的共産主義者同盟

両派の源流は、1957年に結成された日本トロツキスト連盟にさかのぼります。同組織は同年12月に革命的共産主義者同盟へと名称を変更しました。

当時の日本では、日本共産党の路線転換やソ連のスターリン批判、ハンガリー事件などを背景に、従来の共産主義運動に対する批判が広がっていました。

既存政党とは異なる革命の理論と前衛組織を求める活動家が集まり、新左翼運動の基盤が形成されていきます。その後、組織内の路線対立によって複数の分派が生まれました。

1963年2月、黒田派と本多派が分裂

1963年2月、革命的共産主義者同盟全国委員会で路線対立が決定的になり、黒田寛一を中心とするグループと、本多延嘉を中心とするグループが分かれました。

黒田は、組織の理論的統一や労働運動における組織建設を重視しました。一方、本多は、労働者や学生の大衆運動との結び付きを重視する方向を強めました。

分裂の背景には、労働運動の組織化をめぐる考え方や、地区党組織と産業別の労働者組織の位置付け、他党派との運動上の関係など、複数の問題がありました。

単なる指導者同士の個人的な対立ではなく、革命運動をどのような組織構造で進めるのかという根本的な考え方の違いだったのです。

分裂後に形成された二つの組織

分裂後、黒田寛一を中心とするグループは革マル派、本多延嘉を中心とするグループは中核派として活動を開始しました。

両派は同じ革命運動の源流を持ちながら、互いの路線を批判するようになります。その後、学生運動や労働運動の主導権争いも加わり、対立は長期化しました。

この経緯は、警察庁の「極左暴力集団の現状等」や警察白書、ブリタニカ国際大百科事典の解説でも確認できます。

【思想・組織運営を比較】黒田寛一と本多延嘉が目指した革命運動

両派の違いを理解するために重要なのが、それぞれの創始者として位置付けられる黒田寛一と本多延嘉の思想的な役割です。

革マル派の思想的支柱・黒田寛一

黒田寛一(1927~2006年)は、哲学者・社会運動家として知られ、日本の新左翼運動における理論形成に大きな影響を与えました。

黒田が掲げた重要な思想的立場が「反帝国主義・反スターリン主義」です。スターリン主義を批判し、革命的マルクス主義の理論を追究する姿勢を組織の基盤に据えました。

著作には『スターリン主義批判の基礎』『社会観の探求』などがあります。革マル派は黒田の著作や講演記録を組織内の学習に活用し、理論の継承を続けています。

警察庁が公表した令和7年中の公安情勢でも、革マル派が黒田の理論を継承し、労働運動や大衆運動を通じて組織の維持・拡大を図ったことが報告されています。

中核派の理論的指導者・本多延嘉

本多延嘉(1934~1975年)は、早稲田大学で活動した革命運動家で、革共同の結成に関わり、後に中核派の理論的支柱となりました。

本多が重視したのは、労働者階級の運動を革命運動の中心に位置付ける考え方です。労働争議や学生運動などの現場で活動し、労働者や学生との結び付きを強めることを重視しました。

現在の中核派(党中央)が掲げる「階級的労働運動路線」は、こうした組織の歴史的な方向性を理解するうえで重要です。ただし、現在の活動方針をすべて本多個人の思想と同一視することはできません。

本多は1975年3月14日に死亡しています。彼の死後も、中核派は本多の思想的遺産を組織の歴史の一部として位置付けてきました。

思想と組織運営の違いを比較

両派の違いを整理すると、次のようになります。

比較項目 革マル派 中核派
正式名称 日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派 革命的共産主義者同盟全国委員会
分裂・結成 1963年2月 1963年2月
中心人物 黒田寛一 本多延嘉
思想的特徴 反帝国主義・反スターリン主義、革命的マルクス主義 トロツキズムの影響を受けた革命的マルクス主義
組織運営の特徴 理論の継承と組織建設を重視 労働者・学生の大衆運動との結び付きを重視
機関紙 「解放」 「前進」
労働運動 基幹産業の労働組合を重視 階級的労働運動、国鉄闘争などを重視
学生運動 独自の学生組織・運動を展開 中核派系全学連を中心に活動
代表的な関連活動 JR総連・JR東労組をめぐる問題、労働運動 全学連、NAZEN、反戦・反原発運動
警察庁資料の勢力 約5,500人 約4,700人

この比較から分かるのは、両派が同じ革命思想の源流を持ちながら、組織を維持・拡大するための重点を異なる方向に置いていることです。

なお、勢力規模の数字は2024年6月時点の警察庁推計であり、2026年の実数を示すものではありません。

【機関紙・労働運動を比較】「解放」と「前進」、JR総連・全学連・NAZENの関係

革マル派と中核派を見分ける際には、機関紙の名称や関連する運動組織を確認すると理解しやすくなります。

革マル派の機関紙は「解放」

革マル派が発行する機関紙は「解放」です。

機関紙は、組織の政治的主張や活動方針、理論的な見解を発信する媒体です。革マル派の場合、黒田寛一の理論の継承や労働運動に関する主張などが掲載されてきました。

警察庁の令和7年中の公安情勢によれば、同派は連合や加盟労組の指導部を批判し、メーデー会場周辺でビラを配布するなどして支持者の獲得を図りました。

JR総連・JR東労組との関係

革マル派をめぐる問題で長年議論されてきたのが、全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)と東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)との関係です。

警察庁は、両組織に革マル派活動家が相当浸透しているとの見解を示してきました。2006年の参議院に提出された質問に対する政府答弁書でも、この認識が説明されています。

2025年中の活動をまとめた警察庁資料でも、JR総連とJR東労組が、それぞれ6月の定期大会で、革マル派創設時の副議長だった故松崎明元JR東労組会長が提唱した労働運動理論に基づいて組合活動を進める方針を決定したと報告されています。

ただし、警察による革マル派活動家の浸透に関する評価と、労働組合そのものの性格や一般組合員の政治的立場は区別する必要があります。JR総連やJR東労組の組合員全員が革マル派に所属しているという意味ではありません。

中核派の機関紙は「前進」

中核派が発行する機関紙は「前進」です。

労働運動、反戦闘争、学生運動、国鉄闘争などの主張が掲載され、組織の活動方針を伝える役割を担っています。

警察庁の2026年3月資料では、同派が機関紙「前進」のカラー版やSNSを若者への働き掛けに活用していることが紹介されています。

全学連とNAZENは何を指すのか

中核派を理解するうえで重要なのが、学生組織の全学連(全日本学生自治会総連合)です。

全学連は、戦後の学生運動を代表する組織の一つですが、歴史の中で複数の党派に分かれています。そのため、全学連という名称だけで中核派と同一視することはできません。

ここでいう中核派系全学連は、中核派の影響下にある学生運動組織を指します。警察庁も、大学における自治会活動やサークル活動をめぐる同派系活動家の動向を報告しています。

もう一つの重要な組織が、NAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議)です。

NAZENは、2011年3月の東日本大震災と福島第一原発事故後の反原発運動の中で、中核派が立ち上げた組織です。原発問題を通じた大衆運動や支持者の獲得を図る活動として、警察庁資料にも掲載されています。

両派の活動を整理すると、革マル派は労働組合をめぐる組織活動、中核派は労働運動に加えて学生運動や反戦・反原発運動への取り組みが特徴として浮かび上がります。

【内ゲバの歴史】革マル派と中核派の対立はなぜ暴力抗争に発展したのか

革マル派と中核派の歴史を語るうえで避けられないのが、両派の間で発生した内ゲバです。

内ゲバとは、内部ゲバルトの略称で、極左党派同士の暴力を伴う抗争を意味します。単なる政治的な意見の相違ではなく、殺人や傷害に発展した深刻な問題でした。

1970年代に激化した党派間抗争

1963年の分裂後、両派は大学や労働運動などで主導権を争い、互いの組織を敵対勢力として位置付けるようになります。

警察白書によると、1970年8月には中核派が革マル派の東京教育大学の学生を殺害した事件が発生しました。

さらに1972年11月には、革マル派による早稲田大学の学生のリンチ殺人事件が発生しています。これらの事件を契機に、両派の抗争は一層深刻化しました。

1973年には、内ゲバの発生件数が238件、死傷者が575人に達したと警察庁は記録しています。極左党派間の抗争が全体の大きな割合を占め、その中でも革マル派と反革マル派の対立が目立っていました。

内ゲバが激化した構造的な背景

内ゲバの背景には、複数の要因が重なっていました。

  • 革命理論や政治路線の正統性をめぐる対立
  • 学生運動や労働運動における主導権争い
  • 組織内部の規律や指導権をめぐる対立
  • 相手の党派を革命運動の敵とみなす排他的な思想
  • 過去の暴力事件に対する報復意識の拡大

特に問題だったのは、自派の路線だけを正しいものとし、対立する党派を排除すべき対象とみなす考え方です。

政治的な議論によって解決すべき対立が暴力による抗争へと変わり、学生や労働者だけでなく、一般市民にも被害が及びました。

警察庁の昭和63年版警察白書でも、革マル派と中核派を中心とした内ゲバの長期化や、殺人を含む深刻な事件が記録されています。

内ゲバは現在も同じ規模で続いているのか

1970~80年代の抗争と、2026年の活動状況を同じものとして扱うことはできません。

現在の警察庁資料では、組織の維持・拡大、労働運動、大衆運動、学生運動などが主な活動として取り上げられています。また、中核派内部でも組織的な対立が発生しています。

2025年の中核派では、幹部活動家の除名をめぐって内部対立が表面化し、双方が機関紙やSNSで反論を展開しました。かつての革マル派との対立だけでなく、組織内部の路線や規律をめぐる問題も現在の重要な論点になっています。

このように、内ゲバの歴史を理解するには、過去の殺傷事件と現在の組織内部の対立を区別して見る必要があります。

【2026年最新】革マル派・中核派の勢力規模と近年の検挙事例

2026年の両派の現状を把握するうえで、最も重要な資料が警察庁の2026年3月公表「極左暴力集団の現状等」です。

勢力規模は革マル派約5,500人、中核派約4,700人

警察庁資料に記載された両派の勢力は次のとおりです。

  • 革マル派:約5,500人
  • 中核派:約4,700人

一見すると革マル派の方が800人ほど多い計算になります。

しかし、ここで注意したいのが調査時点です。警察庁資料の注記には、両派の勢力規模の基準日が令和6年(2024年)6月現在と記載されています。

つまり、2026年3月に公表された資料に掲載された数字ではありますが、2026年3月や11月時点の最新実数ではありません。

同資料では、極左暴力集団全体の勢力を約1万8,300人としています。こちらも2024年6月時点の推計です。

警察庁が報告した2025年の検挙状況

2026年に公表された警察庁の令和7年中の公安情勢では、極左活動家の検挙状況について、具体的な数字が示されています。

2025年中の極左活動家の検挙人数は33人で、前年より19人増加しました。このうち、中核派系全学連活動家8人が、公務執行妨害罪などで逮捕されたと報告されています。

近年の主な検挙事例

警察庁の2026年3月資料と令和7年中の公安情勢には、次のような事例が掲載されています。

① 京都大学での威力業務妨害事件(2025年2月)

京都府警は、2022年12月に京都大学で発生した大学業務妨害事件をめぐり、2025年2月8日と13日に中核派系全学連活動家ら7人を威力業務妨害罪で逮捕しました。

② 沖縄県での公務執行妨害事件(2025年6月)

天皇皇后両陛下の沖縄県行幸啓に伴う抗議行動において、警備中の警察官に暴行を加えたとして、中核派系全学連活動家1人が6月5日に逮捕されました。

③ 広島での抗議行動に伴う逮捕(2025年8月)

広島の平和記念式典に伴う抗議行動では、警備員に暴行を加えたとして、中核派(党中央)の活動家2人が8月6日に暴行罪で逮捕されました。

④ 京都大学の時計台をめぐる事件(2025年10月)

京都大学で「時計台占拠」と称する行動を企て、大学職員への暴行があったとして、中核派系全学連活動家1人が10月27日に暴力行為等処罰に関する法律違反で逮捕されました。

これらの事例から分かるのは、2025年の検挙事例では中核派系の学生組織に関係する事件が複数確認されていることです。ただし、これは革マル派の活動がなくなったという意味ではありません。

2026年も続く両派の政治活動

公安調査庁が公表する2026年の「最近の内外情勢」からも、両派の活動が継続していることが分かります。

2026年2月22日には、ロシアによるウクライナ侵略から4年となることを捉え、革マル派と中核派がそれぞれ侵略反対を訴える集会・デモを実施しました。

同年3月11日には、中核派が福島第一原発事故を捉えた「3・11反原発福島行動26」を開催しています。

さらに8月2日には、革マル派が北海道、東京、石川、愛知、大阪、福岡、沖縄で「第64回国際反戦集会」を開催したことが公安調査庁の資料に記録されています。

こうした活動から、2026年現在も両派が反戦、反原発、労働運動などを通じて政治的な主張を発信していることが確認できます。

2025年に明らかになった中核派内部の分裂問題

2026年の中核派を理解するうえで見逃せないのが、2025年9月に表面化した内部対立です。

警察庁の令和7年中の公安情勢によると、中核派は第35回全国委員会総会で、女性差別・性暴力などを理由として幹部活動家を除名しました。加えて、同幹部に同調した中核派系全学連の委員長らについても、組織から排除したと主張しました。

一方、除名された幹部側は、組織内での女性差別行為や暴力的な襲撃などがあったと主張し、中央指導部に自己批判と謝罪を求めました。

双方は機関紙やSNSで反論を展開し、それぞれ独自の集会やデモを開催するなど、対立が続きました。

この組織内対立は、2025年10月に予定されていた成田空港関連の全国集会が直前に中止された問題にも影響したと、警察庁資料は説明しています。

したがって、現在の中核派を一枚岩の組織として理解するのは適切ではありません。党中央と内部の対立勢力、学生組織との関係など、組織構造そのものにも変化が生じています。

【よくある誤解を検証】革マル派と中核派について知っておきたいポイント

革マル派と中核派は同じ思想なのか

両派はマルクス主義やトロツキズムの影響を受けた共通の歴史を持ちますが、組織運営や労働運動、大衆運動の位置付けには違いがあります。同じ組織の別名ではなく、1963年に分裂した別々の政治組織です。

勢力が多いのはどちらなのか

警察庁の2026年3月資料に掲載された推計では、革マル派が約5,500人、中核派が約4,700人です。ただし、どちらも2024年6月時点の数字であり、2026年の最新実数を示すものではありません。

全学連はすべて中核派なのか

いいえ。全学連は複数の党派が関係してきた学生自治組織です。中核派系全学連という組織は存在しますが、全学連という名称だけで中核派と判断することはできません。

革マル派とJR総連・JR東労組は同じ組織なのか

同じ組織ではありません。警察庁は両労組への革マル派活動家の浸透を指摘していますが、労働組合と政治党派は区別して理解する必要があります。組合員全員が革マル派の構成員ということでもありません。

2026年も両派は活動しているのか

はい。公安調査庁の2026年の公表資料では、両派による集会やデモが記録されています。労働運動、反戦運動、反原発運動などを通じた活動が続いています。

まとめ:革マル派と中核派の違いは1963年の路線対立と現在の活動に表れている

革マル派と中核派は、同じ革命的共産主義運動から生まれた組織ですが、1963年2月の分裂を境に、それぞれ異なる思想的・組織的な方向性を形成してきました。

革マル派は黒田寛一の反帝国主義・反スターリン主義の理論を継承し、組織建設や基幹産業の労働組合を重視しています。機関紙は「解放」で、JR総連やJR東労組との関係が長年の重要な論点です。

一方、中核派は本多延嘉を中心に結成され、階級的労働運動や学生運動、大衆運動を重視してきました。機関紙は「前進」で、中核派系全学連やNAZEN、反戦・反原発運動などが代表的な活動領域です。

2026年の最新状況を把握する際には、警察庁資料に記載された約5,500人と約4,700人という勢力推計の基準日が2024年6月であること、2025年には中核派内部で大きな対立が発生したこと、そして2026年にも両派の集会活動が確認されていることが重要です。

【プロの結論】

両派を正しく見分けるためには、次の3点を押さえておくと理解が深まります。

  • 歴史で見分ける:1963年2月の分裂で、黒田寛一を中心とする革マル派と、本多延嘉を中心とする中核派が成立した。
  • 組織と活動で見分ける:革マル派は組織建設と基幹産業の労働運動、中核派は階級的労働運動や学生運動、反戦・反原発運動に特徴がある。
  • 最新資料で見分ける:勢力推計は基準日を確認し、検挙事例は個別の事件と容疑、組織との関係を区別して読む。

特に注意したいのは、反戦・反原発・労働運動などに参加する一般市民や労働者、学生を、特定の党派と一括りにしないことです。運動への参加と政治組織への所属は別の問題です。

歴史的な経緯、思想、機関紙、組織の関係、そして警察庁や公安調査庁の公表資料を組み合わせて確認することが、革マル派と中核派の違いを客観的に理解するための最も確かな方法です。

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トレンドリサーチャー 葛西 纱英
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